経営者に聞いた、欲を節制するには欲を育てるのが一番大事だという話
ジュリアス・シーザー。ナポレオン。織田信長。彼らの共通点がわかる? それは慢心に殺されたということだ。
先日、活躍中の経営者から伺って、忘れられない言葉。
その方は定期的に座禅しにお寺に行き、住職の方に尋ねるという。
「どうしたら慢心せずにいられますか」
「大欲を持つことです」
大欲とは、たとえば社会をもっと良くしたいという望みだという。お金儲けしたいとか、会社を大きくしたいという欲は、ある意味では、小さい。その欲を持ち続ければ、慢心に陥らないと。
「大欲は無欲に似たり」という仏教の言葉がある。
欲はこわいもの。欲に振り回されず、適度に節制し、分相応な暮らしをするのが良いと、私は刷り込まれて生きている。なんとなく。
けれども、その住職の言葉は(というか仏教の教えは)欲を抑えるのではなく、より大きな欲を育てることを説く。
「社会を良くしたい」などという望みは、自分がないようでいて、実は究極的に自分勝手だ。正解のない世界に、自身の考える「善」を社会に押しつけるのだから。
けれども、それが他を利することになるなら、結構なことかもしれない。なんなら、それを人はリーダーと呼ぶ。
「大欲は無欲に似たり」あまりに大きな欲は、きっときらきらとして、無私のように見えるだろう。それは、その人の置く時間軸ともかかわるのかもしれない。
自分を振り返ると、社会を良くしようなんて、とてもじゃないけど思えない。だけど、自分の欲を少しだけアップデートしようとしたら、どうなるだろうと考えてみる。
仕事が終わって、家で晩酌するよりも、地元のみんなを呼んでワイワイ飲んだらどうだろう。春の花見、秋の月見を企画したらどうだろう。週末の仕事帰り、シンガポールあたりにフライトして、機内で乾杯したらどうだろう。贅沢? それをやることで、誰かが不幸になるのか。幸せが増えるのか。
しかし、私の欲の小者さよ。欲は表明するより、節制する方が楽だし、大欲を育てることは、かくも難しい。