『熟達論』 〜「遊」に始まり「空」に到達する〜
宮本武蔵が剣術の奥義をまとめたとされる「五輪の書」。為末大さんの「死ぬまでに現代版『五輪の書』を書きたい」という願いが、編集者との出会いによって実現したそう。
自身の経験に加え、著者が出会った一流アスリート、さらにiPS細胞の山中伸弥教授、生物学者の福岡伸一さんなど各界の「熟達者」の話を通じて、その学習プロセスを五段階に分けている。
第一段階 遊
第二段階 型
第三段階 観
第四段階 心
第五段階 空
第一段階は「遊」。「すべては遊びから始まる」。次に「型」を身につけ、「観」で構造を理解する。「心(しん)」は中心を捉えること。「型の輪郭が崩れその中心部分だけが身体に残っていく」。最終段階は「空」。それは「ZONE(ゾーン)」とも呼ばれる世界。「自我がなくなり、今までの前提が大きく変わる。制約から解き放たれ、技能が自然な形で表現される。自分も解放され、自己とそれ以外すら曖昧になる」
著者が元陸上競技選手なので、アスリートの例えが多いけれども、スポーツに限らず、あらゆる領域で「熟達」するための汎用的な手順が書かれている。
優れた職人の手つきは、いつまでも見ていたくなる。映画や音楽などもそうで、卓越した技を見ると「上手だな」という感想さえ思いつかず、ただ世界の高みに誘われる感覚がする。自由闊達で動きに無駄がなく、この境地に到達できたらさぞ楽しいだろうなと思う。
そこに到達するためには、がむしゃらに努力だけすればいいわけではない。かといって、好きなことだけしましょうという話でもない。部分は全体。世界と自分は密接に関連している。身体を変えれば見方が変わることもあり、その逆もある。
では身体と心をどのように使い、鍛えるか。ひとつひとつの教えは、この上なく具体的だが、何通りにも解釈できて、ページをめくっては思考がとめどなく広がっていく。これぞ読書の醍醐味だなと思う。
熟達というとストイックで大変なイメージがあるが、「遊」に始まり「空」に到達する5つのステップはすべて、より楽しく「遊ぶ」ための方法論かもしれない。
ただ変化が起きるのを待つだけでは、遊び続けることはできない。身を委ねるだけであれば、いずれ社会の文脈の中に自分が組み込まれていくからだ。遊び続けるには自ら変化を引き起こし、その変化によって新たな展開を生み出す必要がある。
遊びをさらに発展させるためにも、「遊」の次に「型」があるのだ。
一度「心」を掴むと自然と「らしさ」が現れるようになる。(中略)ここにきて遊べる範囲が一気に広がっていく。
小林秀雄は「美を求める心」で以下のように書いているが、個人的には、これもまた熟達なのではないかと思う。世界の美しさを味わい、遊び尽くす。『熟達論』は、そのための教本だと思う。
花を黙って見続けていれば、花は諸君に、嘗(かつ)て見た事もなかった様な美しさを、それこそ限りなく明かすでしょう。画家は、皆そういう風に花を見ているのです。何年も何年も同じ花を見て描いているのです。