\祝・文庫化/稲垣えみ子『魂の退社』

\祝・文庫化/稲垣えみ子『魂の退社』

元・朝日新聞記者。「アフロ記者」という呼び方のほうが有名かもしれない。トレードマークのアフロヘア、電気をほとんど使わない独特のライフスタイルでも知られる稲垣えみ子氏の『魂の退社』を読んだのは、初版刊行(2016年)からずいぶん経った2023年のことだった。

著者は、50歳で朝日新聞者を依願退職し、フリージャーナリストに転じている。この本では「退社」に行き着くまでの、まさに「魂」の軌跡が語られている。

本を読んだ直前、私は会社を辞めていた。48歳だった。会社を辞めたあとのアテがあったわけではない。コロナ禍で外出できなかった時期に貯めたお金で、どれくらい生き延びられるか、何度も計算しながら、この本を読んだ。そして泣いた。

泣いた理由は、それまで約四半世紀にわたって会社員として働きながら感じていたモヤモヤがすべて言語化されていたからだ。そして、それを手放したとき手に入れられる自由は、まばゆく見えた。

この本で、好きなくだりは、書き出すと本当にきりがない。

たとえば、この小見出し。

お金がいらなくなると仕事が面白くなる

本文では、こう続く。

いつでも会社を辞められるつもりの自分であるかどうか。

著者は、朝日新聞在籍時代、地方支局に「飛ばされた」経験、思い立ってアフロにした経験(※会社員時代)、そして東日本大震災を経て、電気をほとんど使わない生活に入ったことから、この境地に至る(その後の暮らしぶりについては、この記事が詳しい)。

私たちが最低限、生きていくために必要なお金は、意外と少ない。

私は退職する数年前から、MoneyForwardを使って家計の可視化をおこなったが(←それまでしていなかったのです)、むだな支出の多さに愕然とした。多くは、洋服や化粧品、旅行、つきあいやストレス解消のための支出だった。仕事のストレスから逃れるために金を使い、その金に縛られて、心から好きと思えない仕事をしている。そのように感じた。

たまたま著者も私も独身子なしであり、家族を扶養する責任を負っているわけではない。だから、余計に共感したのかもしれない。たかが自分一人を養うために、なぜここにいるのだろうかと。

私たちは自分の人生について、いつも何かを恐れている。負けてはいけないと自分を追い詰め、頑張らねばと真面目に深刻に考えてしまう。しかし真面目に頑張ったからその分何かが返ってくるかというと、そんなことはないのである。そしてそのことに私たちは傷つき、不安になり、また頑張らねばと思い返す。そして、その繰り返しのうちに人生は終わっていくのではないかと思うと、そのこともまた恐ろしいのである。

世の中というものは世知辛いようでいて、実は無限の親切に満ちているのかもしれない。それは綱から手を離して初めて見えてくる世界であった。
・・・いやそうじゃないな。私はアフロにすることで、すでに綱から片手を離していたのだ(だって、どう見ても普通の会社員には見えないですもんね)。

本のタイトルは『魂の退社』だが、もちろん「退社」だけが解決方法ではない。書かれているのは、自由になるための方法。自由になることを妨げているのは、実は自分がちっとも大切にしていない支出、無意味に囚われている価値観ではないかということ。

一年前、目の前になにもない圧倒的な自由と不安の中で手に取った。いま読み返すと、また違った読み方になる。「綱から手を離す」。その結果、どう転がっていくのか。手を離したばかりの自分には、かいもく見当がつかなかった。いま、まがりなりにも、どこかに着地したような気がする。

「世の中というものは世知辛いようでいて、実は無限の親切に満ちているのかもしれない。」本当にそのとおりだったと、一年かけて、心からじわじわとそう感じている。

『魂の退社』