「ニュータイプの時代」
限界費用がゼロに近づく中で、スマホの普及によって生産手段が会社や工場から自宅に回帰する中で、従来の経営学が果たしてどこまで有効なのだろう? と感じていた。
企業というものが株主利益を生みだすためのツールであり、時価総額によって評価されるものであるならば、そして経営工学という言葉に象徴されるように、企業組織がエンジニアリングによって構築可能なものとするならば、スティーブ・ジョブスのような、狂人といってよいほどの強烈なこだわり、世界観が、現代の市場を席巻したのはなぜなのか。
「世界中の知恵を一つの図書館にする」というGoogleの荒唐無稽といえるほどの野望を、企業の存在目的を株主価値の最大化であるとする従来のセオリーの中で、どのように位置づければよいのか。
なぜパタゴニアのような会社が、ミレニアル世代の就職人気企業になるのか。
そうしたモヤモヤに対する回答が、この本の中にあった。
ポーターの「競争戦略論」は経営学の古典的名著だが、
その考察はすべて『どうすれば市場を独占できるか』という『大きな問い』に対する回答の幹と枝葉という構造をなしています。
その上にそそりたつ考察の幹と枝葉のすべては、今日の『共有エコノミー』による巨大な価値の創出と大きな齟齬をきたすことになり、端的に言えば理論として根底から破綻します。
著者は、これからの時代の6つのメガトレンドを挙げ、その中で活躍するのは「従順で、論理的で、勤勉で、責任感の強い」オールドタイプから、「自由で、直感的で、わがままで、好奇心の強い」人材である「ニュータイプ」とする。そして、その思考・行動様式24個を列挙している。
会社という組織が、本来は人間の構成する複雑な生命体であり、経営とアートは相容れない対立概念ではない。いまここにない望ましい世界を創りだす起業家のヴィジョンは、その美意識、思想、哲学にこそ涵養される。非営利企業が持続するためには、経済が必要であり、市場原理と新たな公共が融合して豊かな社会的資本を生みだす。人類の進歩の歴史は、人の美意識を実現する営みの蓄積。
経営とアート、公共というものが、対立概念ではなく、本来不可分であった時代に、回帰しつつある。
インターネットの普及によって、GAFAに代表される超寡占企業が生まれる一方で、Netflixのコンテンツに代表されるように「グローバル×ニッチ」という市場セグメントが生まれる(超ニッチでもグローバルに広げることで市場ができる)。結果として、スケールとフォーカスという、これまでトレードオフと考えられていたセオリーが根本から見直しを迫られる。
インターネット時代の、そして資本主義が変容する中の、新しい経営学の(そして生き方の)示唆となる本だと思う。