『怠惰への賛歌』(1) なぜ私たちは100年前の「8時間労働」に現代も囚われているのか

『怠惰への賛歌』(1) なぜ私たちは100年前の「8時間労働」に現代も囚われているのか

『怠惰への賛歌』は、ノーベル賞作家であるバートランド・ラッセルによる15篇から成るエッセイ集。

その冒頭に収録されている表題作「怠惰への賛歌」は、1932年(第二次世界大戦前、ドイツ総選挙でナチス党が圧勝した年)に書かれたものだけれど、今こそ読まれるべきだと感じる。

「1日4時間労働」を100年前に提唱していたラッセル

20ページにわたるエッセイを3行に要約するなら、以下のようになる。

・「勤労は美徳」という産業革命以降続いてきた「常識」は、テクノロジーの進化によって、崩れつつある。
・人間は1日4時間働けば十分であり、余暇を創造や趣味に費やすことで、ゆとりや文化が生まれる。
・けれども、ひまをうまく使うためには、文明と教育が必要。

イギリスでは、十九世紀の初期をみると、十五時間が、ひとりの人間の平日の労働時間であった。

普通の賃金労働者が、一日四時間働いたなら、すべての人に満足を与え、失業者もないだろう。ーーこれには、或る極めて適当な分量の気のきいた組織があると仮定しての話だが。

そして、歴史上、いかに貴族階級が「ひま」を謳歌し、文化を生み出してきたか、一方で、自分たちが富や時間を得るために、労働者階級に「勤労こそが善」という道徳を植えつけてきたか、ユーモアと風刺に溢れる説明が続く。

「1日8時間労働」はいつ生まれたのか?

気になったので調べてみると、それから100年後の1919年、国際条約で「8時間労働」が規定されたという。

さらに100年あまりが過ぎた2021年、いまだに「8時間労働」は常識のままだ。むしろ8時間で帰れるなら「ホワイト企業」と称賛されてしまいかねない。

けれども考えてみると、1919年というのは、掃除機も洗濯機も一般的ではなかった。洗濯板で手洗いするのが当たり前。自動車の大量生産がアメリカで始まったのは、その10数年前だし、もちろん新幹線なんて走ってさえいない。

いまやルンバやドラム式洗濯機も珍しくなく、手紙やテレックス(というものがあった)はメールひとつで送受信できるにもかかわらず、なぜ私たちは100年以上前に制定された「8時間労働」に囚われているのだろう。

1932年から80年、「奴隷の道徳」は消えたのか

ラッセルの分析は、まるで現代にもそのまま当てはまるように読める。

勤労が望ましいものだということを確かに証明していると思う多くのことがらは、この制度から生まれたのであるが、産業革命前のものだから、近代社会にはあてはまらない。近代の技術によって、或る限度内のひまは、少数の特権階級の特権でなくて、社会全体を通じて、公平に分配される権利となることができるようになった。勤労の道徳は、奴隷の道徳であるが、近代世界は、奴隷を必要としない。

エッセイの最後は、このように結ばれている。

これまで、私たちは機械が出来ない前と同じように、根かぎり働いてきている。この点で私たちは今まで愚かであったが、永久にずっと愚かである道理はない。

それから80年後、さらに飛躍的なテクノロジーの確信を実現しながら、8時間どころかそれ以上働き疲弊している子孫たちを見て、ラッセルはどのように感じるのだろう。

『怠惰への讃歌』
バートランド・ラッセル
平凡社ライブラリー