「戦争広告代理店」から広報が4つのポイント

「戦争広告代理店」から広報が4つのポイント

「広報の仕事をするなら一度は読んだ方がいい」。この本を勧めてくれた人はそういった。

1990年代に起きたボスニア紛争。ソ連崩壊後、旧ユーゴスラビア連邦の国々が独立し、かつてその中枢であったボスニアでは、セルビア人・モスレム人・クロアチア人が凄惨な戦いを繰り広げた。しかし国際世論はセルビアを非難し、やがてNATO空爆といった介入につながっていく。

なぜか。それはルーダー・フィン社という米国PR会社の存在があったからだという。

ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国と「契約」した同社は、熾烈なPR作戦を展開し、敵対するセルビア共和国を「悪の権化」として世界中に印象づけることに成功した。

この本は2000年に放送されたNHKスペシャル「民族浄化 〜ユーゴ・情報戦の内幕〜」の取材をもとに、同番組を担当した同社の高城徹氏が著したものだ。

正直、読んでいて楽しくなる本ではない。けれども、それぞれの民族が同様に凄惨の限りを尽くしたといわれる紛争において、なぜ「加害者」vs「被害者」の構図が生まれたのか。そこでPRの力がどのように使われたのか。関係者への膨大な取材、証言をもとに進められる検証は、超一級の「教科書」でもある。

倫理上の議論とは別に、この本から広報として何を学ぶのか。特に印象的だった4つの点をまとめる。

たったひとつの「キャッチコピー」

のちにNATOとともにボスニア紛争介入に向けて立ち上がる米国の世論は、最初、ボスニアにほとんど関心を持たなかったという。石油が出るわけでもなければ、自分たちの領土を脅かすわけでもない、遠い国の内戦。「ヨーロッパの裏庭」の紛争はヨーロッパで解決すればよい。

その風向きを大きく変えたのは、PR会社がペーパーに入れたたった一言だった。

「民族浄化(Ethnic Cleansing)」

いまや、あたりまえのように使われているこの言葉は、ボスニア紛争で、このPR会社が初めて発信した。

ひとつの民族を抹消する。その意味でいえば、第二次世界大戦中のホロコーストという言葉がある。けれども、この言葉を使うわけにはいかなかった。不用意に使えば、ユダヤ人団体から指摘が入る。ホロコーストという言葉を使わずに、第二次世界大戦で刻みつけられた欧米の人びとの暗い記憶を揺り動かす言葉。そして「民族浄化」という言葉を見つけた。

その言葉は、ナチスのユダヤ人迫害を想起させた。ボスニアで何が起きているのか。何十分もかけて説明するよりも、たった一言のキャッチコピーが、その凄惨さ、看過してはならないのだという問題意識を揺さぶる。

キャッチコピーは慎重に練られた。はじめ、2つの候補となる訳語があった。「ethnic cleansing」と「ethnic purifying」だ。そして前者が選ばれた。

後者が宗教的な意味あいを持つのに比べ、前者は、「より日常的な場面で『汚れを落とす』というときに用いられる」。いわば人間をゴミのように扱う、聞く者の心をぞっとさせるのは、後者の方だったのだ。

「私たちの仕事は、一言で言えば”メッセージのマーケティング”です。マクドナルドはハンバーガーを世界にマーケティングしています。それと同じように私たちはメッセージをマーケティングしているんです。」

彼らは、プロフェッショナルとして、練りに練ったコピーをつくり、発信した。それは、自分たちの言いたいことを網羅しているだけでなく、受け取る側にどのような作用を及ぼすのか、その共同体や国家にとって、どのようなメリットがあり、どのような利用が可能なのか、考え抜かれた言葉だった。

「一枚の絵」の雄弁さ

さらに世論をセルビア共和国の弾劾に向かわせたものがあった。あるジャーナリストの撮った写真。

セルビア人がモスレム人を収容していたという強制収容所で撮られたその写真は、鉄条網の向こうに、アバラ骨の浮き出た男が立っているというものだった。この写真は「TIME」の表紙を飾り、セルビア人国家の残虐非道さを世界に知らしめた。

「民族浄化」と同じように、第二次世界大戦中のナチスの所業を想起させる写真。だが実際、鉄条網は囚人を監禁するものではなく、紛争前からたまたまあったもので、別のメディアの取材でも、強制収容所といわれるような証拠は見つからなかった。しかし一枚の写真は一人歩きを始め、雄弁にセルビア人の極悪非道を物語ったのだ。

直接話法と間接話法

ボスニアのスポークスマンやPR会社は、繰り返し「民族浄化」というキャッチコピーを使った。

けれども決定的だったのは、米国国務省が公式な場で「民族浄化」という言葉を使い、セルビアを非難したことだった。

なぜ国務省はこの言葉を採用したのか。その背景には、米国大統領選を控えた政権の思惑があった。

ブッシュ現大統領、そして大統領候補指名レースで頭角を現し始めていたビル・クリントン。セルビア人の残虐行為をブッシュ政権が野放しにしているという攻撃材料をクリントン陣営に与えるわけにはいかない。しかし、米国の軍事介入は多額のコストとリスクを伴う。もっともよいのは、米国の指摘によって、セルビア共和国の指導者が自ら方針を変えること。あるいは、ヨーロッパ諸国が紛争解決に向けて立ち上がること。

「民族浄化」は、セルビア共和国の指導者を悪の権化のようにし、さらにはヨーロッパ諸国の人々が立ち上がるよう喚起する力さえ持っていた。1990年代にナチスの再来を許すわけにはいかないから。思惑は一致した。

PR会社は、国務省に対して「民族浄化」という言葉を使うようには決して求めなかった。ただ、さまざまな形で、その言葉が目にとまるように仕組んだ。

どんなパワーバランスが作用しているのか。それぞれの民族が歴史の中でいやおうなく育んできた記憶、その中で、どの部分を刺激すれば、どのような効果が生まれるのか。彼らはそれを知り抜いていた。

神は細部に宿る

こうした方法論に加えて、印象的なのは、このPR会社の仕事ぶりの細やかさだ。

記者会見で渡す「メディア・キット」に記事要約を入れ、忙しい記者が参照すれば記事を書けるようにしておくなどは、多くの人がやっているけれど、その分量をA4の1枚にまとめること、読みやすいように行間を空けること。一方で、関心を喚起し始めたニュース、たとえばセルビアの残虐非道な事例を訴えるときには、ぎっしりと文字の詰まった冊子をつくり、いかに事例が枚挙にいとまがないのかビジュアルで訴える。

「サウンドバイト」と呼ばれる、映像ニュースで取り上げられやすい発言の短さ。
質問に答えるときの間、沈黙の効果。
細やかな礼状。
テレビに映るときの並び。
今は独立したこのPRマンのオフィスの受付。

広報は言葉によってのみ伝えるものではない。すべての挙動、あるいは沈黙さえ、メッセージになり、世界に発信される。良い意味でも、悪い意味でも。彼らは細部にこだわり、その積み重ねが、世界を変えた。

『ドキュメント 戦争広告代理店〜情報操作とボスニア紛争』