「美麗島紀行」
よくできた紀行文を読むことは、時として実際に旅をする以上に、その土地の記憶を深く体の奥に刻みつける。たとえば、この本。
『美麗島紀行』。美麗島は台湾の別称で、だから、この本は台湾紀行だ。
台湾。1895年から1945年まで日本の植民地だった国。いまだに中国との外交問題で「国」と認められない国。東日本大震災で、人口が2300万人あまりにもかかわらず、アメリカに次いで世界で二番目に多い義援金を集めてくれた国。
この紀行文では、台南にある三越デパートの近くに、70数年も前、日本人が住んでいた家屋の並ぶ一角を見つけて、著者が駆け寄るところから始まる。
今となっては闇に沈むばかりの家並みの真ん中に立ち尽くしたまま、私は、今にも固く閉ざされた門が開いて窓に灯がともり、夕餉の匂いなどが漂ってくる幻を追った。子どもたちの遊ぶ声や風呂を使う音、米をとぐ音、カタカタと走り抜ける下駄の音。ラジオから流れる流行歌。時の彼方に流れ去った生活の音を拾おうと、耳を澄ませた。
台中の夜の濃密な空気の匂い、あの戦争の頃と現代を結ぶ線のただ中に、自分までいるような筆致。
今回から始まる「美麗島紀行」は、ある時代は同じ国民となり、また離れ、それでもよき隣人であり続ける台湾の「今」を見つめ、書き留めていくことと共に、「今に至る」人々の記憶と、かつてこの島で生き、暮らした人たちの息吹を記していくことを目的にしている。そうすることで、合わせ鏡のように今の日本がまた見えてくると思うからだ。
現在では16が認定されているという原住民を訪ねたり、政治運動や政権交代を取材したり、日本人技術者の八田與一がつくった烏山頭ダム(現在も使われている)を訪れたり、戦時中に米軍機に爆撃され村に不時着することを避けて亡くなったことから、台湾で神様としてまつられている小林三武郎氏の社(やしろ)を訪ねたり、紀行の範囲は多岐にわたる。
けれども、政治的な色合いを帯びるのではなく、あくまでも文学であり、紀行なのだ。その文章の美しさ。景色や空気の色、いずれ歴史の波の中に消えてしまうだろう市井の人々の生き様や声を丹念に拾って、物語として昇華している。
台北の故宮博物院ももちろん素晴らしい。
(中略)つまり台湾に行って小籠包を食べ、故宮博物館に行っただけでは、まるで台湾に触れたことにはならない。さらに、たとえば中正紀念堂に足を延ばしても同じことだ。一時間ごとに衛兵が交替し、他とは異なる独特の緊張感を味わうことの出来る巨大な紹介石像の置かれた紀念堂が伝えるものは中華民国の歴史であって、「台湾」という島の歴史ではない。だが多くの日本人はそれらを見て、あとは足裏マッサージを受け、夜市でも覗いてくれば「台湾」を見たと思ってしまう。
知らないということは、そういうことだ。
知らないということ。まったくその通りの台北観光コースを辿ったことしか、私はない。
50年間の日本の支配を経て、中国で毛沢東との戦いに敗れた蔣介石率いる中国国民党の政権下におかれた台湾。母国語は日本語から北京語に変わり、家では台湾語を話す。世代の間で、言葉も歴史観も違い、戦後に国民党とともに大陸から渡ってきた人々と、戦前から原住民と血を交わらせながら生きてきた人々とも違う。
「私は15歳まで日本人だったんですよ」そう語る年配者に、著者は何度となく出会う。1945年8月15日の玉音放送を聞いて、「僕たちはいつ日本に帰るの?」と訪ねた台湾人の子どもの話。
この国は、かつて日本だった。それは、台湾だけではない。満州、樺太。
そのことから目を背け、なかったことにするのではなく、そこで「日本人だった」人々がなにをつくったのか、なにを傷つけたのか。なにが継承され、なにが叩き壊されたのか、知ることが、歴史を学ぶということなのだろう。そんなことを考えさせられつつ、文章の間から匂うような台湾の空気に魅せられて、台中、台南を旅したくなる。