『怠惰への賛歌』(2) 建築と新しい「コモンズ」
前回、バートランド・ラッセルのエッセイ集『怠惰への賛歌』に収録されている表題作「怠惰への賛歌」を読んで、今こそ読まれるべき作品だと思ったけれども、同じ本の第3部に収録されている「建築と社会問題」もまた、現代にこそ読まれるべき作品と思う。
「寒気を防ぎ、雨露をしのぐ実利的な目的が」ある建物は「貧乏人の住居についてみても十分果されている」。
では、美しい建物、荘厳な建築は、誰がつくり出してきたのか。中世には、それは「教会と商業」だったという。ヴェニスやジェノアの商人たちは「荘厳な美の新しい型を創造し」、教会は「広間、礼拝堂、食堂を大きく荘厳にして、そこに教団の誇をあらわしていた」。
19世紀になると、建物には「二つの基本形式」を持つようになる。煙突そびえる巨大な工場、そして労働者たちが住むマッチ箱のような家屋。
各々の家が個人生活の中心であり、共同生活は事務所、工場、鉱山とその地方によって違うが、そういうものが現している。
ラッセルが提唱するのは、「建物の中に公共的要素をとりいれること」。
共同の台所、ひろびろとした食堂、その他娯楽や会合または映画に使う広間を設けなければならない。
男性女性どちらも、小さな部屋にとじこめられてはいないし、むさくるしいところからのがれ、大きな公共的な部屋にはいることになる。そのつくりは、大学の行動のようにすばらしいこともある。美を味い広い空間を占めることは、もう金持の特権と考える必要はない。
このエッセイが書かれたのは1930年代と思われ、その後、時代は完全に逆の方向に突き進んだ。
けれども21世紀を生きる私たちは、まったく同じ議論を目の当たりにしているように思う。
シェアハウスは、いまや経済的に困窮する人のためのものではなく、生活をシェアする新しいコミュニティとして選択する人が増えているように、家族や共同体を見直す「建物」「住み方」が見直されている。
この1、2年、「コモンズ」という言葉をあちこちで見かけるようになった。再び注目が集まっている。2021年9月号「WIRED日本版」は、まさに「ニューコモンズ」だった。
コモンズの意味は「共有地」(直訳は「入会(いりあい)地」)。
コミュニティで共有する水汲み場や集会所。かつては村の中に洗濯場があり、寺や神社に集まって娯楽を楽しんだ。近代に入り、それぞれの家の中に洗濯機やテレビができ、生活は孤立していく。技術的にはそれで済むはずなのに、私たちは、新たなコモンズを模索している。
資本主義と社会主義(共産主義)は、振り子のように振れてきた。
同様に、所有の概念、生活の場としての建築も、時代によって変遷していく。ラッセルの洞察を通じて、その普遍性に視座を広げることができる。